沖縄県浦添市の小児科、向井わらびークリニックです。待ち時間を少なくするオンライン診療予約で順番が近づくとメールか電話、LINEでお知らせします。発熱や咳・鼻水、嘔吐や下痢、小児ぜんそく、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、おねしょ、予防接種や乳幼児健診、入園(学)診断書などお気軽にご相談下さい。
当院は出入口がエレベーターしかないために院内での感染を防ぐために、新型コロナウィルス感染症の抗原検査・PCR検査はおこなっておりません。
新型コロナウィルスの感染が終わったわけではありませんので、院内感染を防ぐために、受診する方と特に保護者はマスクを着用してください。
また、院内で受診を待っている方は、静かに待っていてください。
当院は出入口がエレベーターしかないために院内での感染を防ぐために、新型コロナウィルス感染症の抗原検査・PCR検査はおこなっておりません。
新型コロナウィルスの感染が終わったわけではありませんので、院内感染を防ぐために、受診する方と特に保護者はマスクを着用してください。
また、院内で受診を待っている方は、静かに待っていてください。
基本理念・特徴
● 当院の基本理念
子供の立場になり、「こうなった方がよい」・「こうなった方が改善する」という方向に持っていく手助けをして、保護者の負担や苦労・悩みを軽減・解消していくのが私の仕事だと考えています。
もし自分の息子や娘だったらこういうときにどう対応するのか、と考えて接するようにしています。
時代は変化をして子供や医療を取り巻く環境は激変しています。
その変化を的確につかみ、固定したマニュアル的な思考ではなく、「誰の何のためなのか」という基本に忠実な、柔軟に対応できる態度を持ちます。
決して症状を体から切り離して診るのではなく、体全体の一つの現れとしての病気を「見る」ようにします。
医療を通して、納得と満足が得られるように努力をします。
その上で「地域のかかりつけ医」となることが目標です。
何なりとご相談ください。
もし自分の息子や娘だったらこういうときにどう対応するのか、と考えて接するようにしています。
時代は変化をして子供や医療を取り巻く環境は激変しています。
その変化を的確につかみ、固定したマニュアル的な思考ではなく、「誰の何のためなのか」という基本に忠実な、柔軟に対応できる態度を持ちます。
決して症状を体から切り離して診るのではなく、体全体の一つの現れとしての病気を「見る」ようにします。
医療を通して、納得と満足が得られるように努力をします。
その上で「地域のかかりつけ医」となることが目標です。
何なりとご相談ください。
● 当院の特徴・こだわり
予約システムがある
小児の病気や状態をしっかりと診る
なるべく当院の受診だけで終了するようにする
ただし絶対に無理はしない
なるべく当院だけで完治を目指しますが、自らのできることの限界をわきまえますので、紹介をした方がよいと判断した場合は必ず紹介をいたします。
入院治療が必要な場合は、最も近くてまた以前勤めていた縁がある那覇市立病院に紹介状を書きます。
入院治療が必要な場合は、最も近くてまた以前勤めていた縁がある那覇市立病院に紹介状を書きます。
アレルギー専門医である
でも専門性だけで診療はしない
病気にならないように努力する
● 小児科医になったきっかけ
大学院在学中に諸事情で勉学の継続が困難となり中途退学した後、塾や予備校の講師をして生活をしていました。
30歳を過ぎて、ふとその後の人生について考えるようになりました。
確かにそのままの生活を続けていくのもいいとは考えていて当時は独身で気楽な生活でしたが、自分ひとりのために今後も生きていてそれでよいのか、と自問するようになりました。
貧しい中から東京の大学に進学させてくれた両親や、それまでの自分を支えてくれた社会や友人に、何か還元できることがあってそうできたらいいなぁ、と思い始めました。
色々と考えて、最も実現可能性が高いのが医療の途だと決断しました。
センター試験と2次試験を受けて運よく医学部に入学できたのが33歳で、同学年では断トツの最高齢でした。
入学してからは両親の援助は受けることができないかったので、最高で週7日のアルバイト(塾や予備校の講師ですが)をして自活(授業料は全額免除が多かった)して39歳で卒業しました。
卒業後は「社会に何か還元できること、すなわち今後の社会を担う子供達の役に立てばよい」との考えから、小児科を選択しました。
医局の指示であちこち点々と勤務しましたが縁あって2010年4月に浦添の経塚に開業できて、本当によかったと思っています。
医療や健診を通して多少は社会に還元できている、と少しだけ自負しています。
30歳を過ぎて、ふとその後の人生について考えるようになりました。
確かにそのままの生活を続けていくのもいいとは考えていて当時は独身で気楽な生活でしたが、自分ひとりのために今後も生きていてそれでよいのか、と自問するようになりました。
貧しい中から東京の大学に進学させてくれた両親や、それまでの自分を支えてくれた社会や友人に、何か還元できることがあってそうできたらいいなぁ、と思い始めました。
色々と考えて、最も実現可能性が高いのが医療の途だと決断しました。
センター試験と2次試験を受けて運よく医学部に入学できたのが33歳で、同学年では断トツの最高齢でした。
入学してからは両親の援助は受けることができないかったので、最高で週7日のアルバイト(塾や予備校の講師ですが)をして自活(授業料は全額免除が多かった)して39歳で卒業しました。
卒業後は「社会に何か還元できること、すなわち今後の社会を担う子供達の役に立てばよい」との考えから、小児科を選択しました。
医局の指示であちこち点々と勤務しましたが縁あって2010年4月に浦添の経塚に開業できて、本当によかったと思っています。
医療や健診を通して多少は社会に還元できている、と少しだけ自負しています。